主語の取り方

 「先生、主語が取れません。どうしたらいいですか?」これは予備校講師をやっていて生徒から質問されるbest3には必ず入る質問でしょう。高校生が主語の取れない原因は何なのでしょう。

どうしたら主語が取れるのか? 主語は天から降っては来ない!

 マルさんが生徒さんから質問を受けていて感じるのは、どうも生徒さんは「主語がスパッとわかるテクニック」があって、その「主語がスパッとわかるテクニック」を教えて欲しがっているのではないかということです。そんな魔法のようなテクニックがあるのでしょうか?広い(?)日本の中には「主語が一発で取れるテクニックを持っている」と豪語されるスーパー講師がいるかも知れません。しかし、寡聞にしてそうした講師の存在はマルさんは知りませんし、残念ながらマルさんもそんなスーパーテクは持っていません。「なぁ~んだ、ガッカリ」という声が聞こえてきそうですが、もし、そんなスーパーテクがあるならとっくに世間に広まっているはずです。広まらないほうがおかしい。

 おススメ参考書のページにも書きましたが、一時期「接続助詞の『て』の前後では主語は転換しない」とか「『ば』や『ど』の前後では必ず主語が転換する」といった誤った説が流行った時期がありました。それは生徒さんが鵜呑みにしたら入試で間違いを犯してしまうかえって危険な説でした。では簡単な例文で説明してみましょう。①「男、妻にいへ、妻は悲しみをこらへつつ家を出でにけり」=「男が妻に言うと、妻は悲しみをこらえながら家を出て行った」この文のように「AがBに已然形+ば/Bは…」の場合は「ば」の前後で主語は転換します。では②「男、さ思へ、妻にいひけり」=「男はそう思ったので、(男は)妻に言った」はどうでしょう?「ば」の前後とも主語は男で、主語は転換していませんね。

 これを見てわかるように一見スーパーテクのようにして、受験業界に流行るモノは、実はかえって受験生を混乱させるウソであることが多いのです。助動詞の「る」「らる」に関する「心情語(人間の感情を表す言葉)の下に付く『る』『らる』は自発」というのもその一つです。これの間違いは「ありがたきもの、姑に思はるる嫁の君」=「めったにないもの、姑(義理の母)に可愛がられるお嫁さん」【枕草子】を見れば一発で分かります。この「るる」は自発ではなく受身です。

 では、どうしてこんな間違いが流行ってしまうのでしょうか?実は上の例も「接続助詞『て』の前後では主語が転換しない場合が多い」「『ば』や『ど』の前後では主語が転換する場合が多い」「心情語の下につく『る』『らる』は自発の場合が多い」と書けば間違いではないのです。でも、みなさんお気付きのようにこれではインパクトが弱くて印象に残りません。インパクトが弱いことを書いても参考書は売れません。そこでもしかしたら、本当は言い切ってはいけないことも言い切ってしまった。ということが考えられないわけではありません。または参考書を書く講師の中にも勉強不足な方がいて、自分が教わったことやどこかで読んだことを十分吟味せずに書いてしまった。これはあると思います。マルさんも駆け出しの予備校講師の時は授業で「あっ、生徒にウソを言ってしまった!」という今から振り返るとギヤッとする経験がありましたから。予備校の講師なら誰しもが経験することだとは思いますが。当時の生徒さんゴメンナサイ。でも参考書として受験生が手に取るとなると事情は変わります。十分吟味してから生徒さんに提供してもらいたいところです

 で、何が言いたいかというと受験生の皆さんには「世間に出回っている安易なテクニックに頼ろうとせず、自分の頭でしっかり考えてほしい」ということです。このことが結局は入試を突破する真の学力を付けることになるのですから。古文に関する世間に出回っているウソに関しては「マルさんのコラム」で取り上げて警鐘を鳴らしていくつもりです。

 では、次回、皆さんに「主語の取り方」に関してマルさんなりの方法論をお伝えしようと思います。

話が見えなきゃ主語はつかめない! まずは話をつかめ!

 古文では随筆や評論よりも圧倒的に物語が出題されます。だからこそ主語を問う問題が多いのです。つまり、入試の問題作成者は「この受験生はちゃんと話が見えているかな?」ということ見たいわけです。話も見えていないのにいい加減に解答するような受験生は「ウチの大学にはいらないよ」ということです。ところがそれがわかっていない受験生が多い。それも分かります。とにかく無我夢中で「何でもいいから答えを書いとけ」という受験生も多いからです。でもそれではいわゆる参加することに意義があるというオリンピック精神になってしまいます。「東大や早稲田や慶応の入試に参加することに意義があるから俺は受験した」では受験料を出す親はトホホなわけです。(トホホってもう言わないのかなぁ?)

 ハッキリ言います。受験は合格しなければ意味はないのです。「落ちたけど君は頑張ったよね。偉いよ」では済ませられないのです。その次に「次は合格しようね」が必ず付いて来るのです。だったら、合格する勉強をしなくてはいけないということです。となると「主語をつかもうとするならば、まず、話をつかめ!」ってことです。「話も見えていないのに主語がつかめるわけがない」ということです。まずは話をつかみましょう。主語をつかむのはそれからです。

 では、次回に具体的な主語をつかむ方法に入っていこうと思います。

どうしたら古文の話がつかめるのか?

 では、どうしたら古文の話がつかめるのでしょう。これも一種の都市伝説かもしれませんが、皆さんは「古文は一回読んだだけで訳が取れなきゃダメ!」と思っていませんか?。そんなの無理です!「漫画じゃあるめぇし、一回読んだだけで話がつかめるわけねえだろ~!」ってことです。(言葉遣いが悪くなりましたがごめんなさい。お上品(?)なマルさんの言葉遣いがどうして悪くなってしまったのかは機会があったらお話します)

  そうです、初見の入試古文を一回読んだだけで訳せる受験生などいないのです。そんなのはためしにセンター古文や早稲田の法学部の古文をやってみればすぐ分かります。センター古文や早稲田の法学部の問題をたった一回読んだだけでスラスラ訳が取れる受験生などこの世に存在しないのです。だから安心してください。

 では、どう読めばいいのでしょう。当たり前過ぎてガッカリされるかもしれませんが、古文の話をつかむためには、必ず複数回読むことです。最低でも3回読みましょう。なぜなら、古文は1読目には何が書いてあるかサッパリわからないこともしばしばあります。ところが2読目になると、ポツポツっとわかるところが出てくるのです。それが3読目になると点がつながって線になり、線が集まって面になるように話が見えてくるのです。そして4読、5読していくとほとんど話は見えて、わからないのはこことあそこだけって感じになるのです。ここまでくると主語もほとんど取れますし、問題を解いても話が見えているので外さなくなっています。まずは腰を据えて古文の本文を複数回読む習慣を身につけましょう。次回は更に具体的な主語の取り方に話を進めましょう。(続く)

主語の取り方の具体的方法

 前回、「主語を取るためには話が見えなきゃダメ!」とお話ししましたが、今回はもう少し具体的に主語の取り方をお話ししましょう。

前書きはしっかり読もう!

 随筆と違って物語の話というのは①誰かと誰かが恋愛したり、②誰かが出家してしまったり、③誰かが誰かの和歌に感動したりというように、必ず登場人物がいるわけです。前書きのある話ではそうした人物関係を説明してくれていますから、前書きは必ず読みましょう。焦って前書きもろくろく読まないなんてのは愚の骨頂ですよ。しっかり前書きを読むようにしましょう。そうすれば本文がかなり読みやすくなります。

登場人物をチェックしよう!

 前書きに目を通した後に、いざ本文!となるわけですが、必ず登場人物を○で囲んだりして、チェックする習慣を付けましょう。ただし、1読目では本文中の人物の関係もまだよくわかっていないので、登場人物に○をしていくのは模試や入試ではない普段の勉強のときは2or3読目でよいでしょう。また古文では同一人物が別の呼び方をされることもよくあります。2013年のセンター古文の本試験では、主人公の「右衛門督(ウエモンノカミ)」はある箇所では「客人(マロウド)」、またある箇所では「殿(トノ)」となっています。これも話がある程度見えていないと同一人物とはわかりません。前項の「話はどうしたらつかめるのか」で述べたように必ず複数回読んで話をつかんだら、この「右衛門督」と「客人」と「殿」を○で囲んだ上で線で結んでおきましょう。

会話主をチェックしよう!

 「~」とのたまひての「のたまひ」の主語が問われた場合、その主語は会話主と一致しますね。ですから主語を取る場合は会話主もチェックする必要があります。これも1読目では無理なので複数回読んでから、この会話はAさんの会話、この会話はBさんの会話とわかったら会話の始まりのカギカッコの横にA,Bと書いておきましょう。これも主語を正確に取るためには大切な作業です。

それぞれのシーンで誰と誰が何をしているかを考えよう!

 さあ、最後の詰めです。複数回読んである程度話が見え、全体を通しての登場人物チェックと会話主チェックも終わったら、ついに主語の判定です。このとき大切なのは「このシーンでは誰と誰が何をしている、何をしゃべっているか」を確認することです。複数回読んで、全体の話はある程度わかっているのですから、主語が問われているシーンに集中し「誰と誰が何をしているか、誰と誰が何をしゃべっているか」を捉えましょう。そして主語を確定させましょう。ここまでくれば主語は確実に取れるようになっているはずです。

最後に「読書百篇、意自ずから通ず」

 今まで、主語を取るためにいろいろ述べてきましたが、最後に皆さんに「読書百遍、意自ずから通ず」という言葉を送りたいと思います。その意味は文字通り「百回読めば、文章の意味は自然にわかる」ということです。「えっ~、百回!」って呆れらそうですが。そうなんです。かくいうマルさんも中学生くらいでこの言葉に初めて出会ったときは「馬鹿じゃん、同じ文章を百回も読むヤツなんているわけないじゃん!」と馬鹿にしたものです。時に若さはバカさに等しいものです。でも齢(ヨワイ)60を過ぎた今、深くこの言葉に首肯(シュコウ=もっともだと納得し認める)します。マルさんは10年ほど前に予備校の古文読解のあるハイレベルクラスでこの諺(コトワザ)を生徒に紹介したのです。そしたら次の週の授業で他のみんなが間違ったある問題をたった一人の生徒だけが正解したのです。授業後、その男子生徒に「よくあの問題が解けたなぁ」というと「実は、先生、俺はあの文章を先生に言われたとおり百回読んだんです」というのです。よくもまぁと思いましたが、その健気さに少し感動したものです。

 皆さんも実践してみてください。でも実際は百回読まずとも、10回くらいで古文の話は完全に見えると思いますよ。そうしているうちに7~8回で話が見え、さらに5回くらいで話が見えと読む回数がどんどん短縮されてくるはずです。そうして3回で古文が読めるようになる。そうしたらあとは入試の時間制限を意識して2回で読めて「解く」に移れるようになればいいのです。そのために武器としてある程度の「文法力」と「単語力」を付ければよいだけの話なのです。

 「ある程度の『文法力』と『単語力』を付けたらひたすら古文の文章を読む」、これで古文の読解に関する皆さんの悩みは、ほとんどなくなっているはずです。

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