マルさんのコラム

爽やかな(?)マルさん

 このぺージでは、みなさんが古文を学習している環境ついて、日ごろマルさんが感じていることをブログ風に綴っていこうと思います。

あまり堅苦しくなく楽しいページにして、みなさんが気楽に読みながら古文の学習に役立てることができたら幸いです。

2018.2.1 2018年 センター古文総括 その1

 予備校での冬期・直前講習と我が志学塾での生徒指導に没頭しているうちに年も改まり、センター試験も終了し、私大入試の本番が始まる時期となりました。今日は首都圏ではこのまま雪に変わることなく、全国の受験生がハードな天候で苦しむことのないことを祈りたいものです。

 さて、本日はすでに終了したセンター古文と漢文に関して簡単にコメントしておきたいと思います。古文は国学者:本居宣長の『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』で、「和歌にはどうして恋の歌が多いのか」を自問自答形式で考察するという内容でした。長さはA4サイズで1.5ページ。難易度は標準からやや易。ここ2~3年のセンターは昔のような2ページギッシリという長文は影を潜め、1.5ページ程度。今年もそれを踏襲しました。昔のように文系の国語Ⅰ・、理系の国語Ⅰの区別がなくなり、文系も理系を同じ文章を読むという観点からすると妥当な長さだと思われます。2010年の本試の古文のように本文が2ページを超え、しかも和歌が6首も含まれていたのでは、理系の生徒は見ただけで戦意喪失、文系でも現役生には苛酷というような出題では受験生の正当な力は測れません。この本文1.5ページという長さはあと2年センター試験がなくなるまで継続すると思われますし、そうあって欲しいと思います。内容も歌論でありつつ和歌もなく読みやすかったと思います。宣長の主張する「もののあはれ」を知っている受験生には「なぜ、和歌には恋の歌が多いのか?」→「それは恋こそ人間のしみじみとした情感(もののあはれ)を素直に表すものだから」と読めたと思います。ちなみに最近の入試では江戸時代の作品では本居宣長の著作が本文においても文学史においても群を抜いて取り上げられますから、彼が『源氏物語』の本質と喝破した「もののあはれ論」は是非知っておきましょう。ということで古文はとてもまっとうでちゃんと古文の学習をしてきた受験生には取り組みやすい出題であったと思います。

2017.10.8 「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」『大鏡』
における「べし」の意味の考察と現代語訳

 有名な「藤原公任、三船の才」と呼ばれる『大鏡』の一節に出てくる文です。藤原道長が大井川(現保津川)で船遊びを催して、漢詩や和歌や音楽に優れた人々をそれぞれ漢詩の船、和歌の船、音楽の船に乗せて、漢詩や和歌を作らせたり、音楽を奏でさせたりしたときに、オールマイティな藤原公任がやってきたので「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」と発した言葉です。通常、この短文は文法の「る・らる」の学習のところで取り上げられ、「乗ら」の「る」の意味が問われます。これは簡単で、大納言の公任が主語なので「る」の意味は尊敬でおしまいです。ところがこの短文を「現代語訳せよ」となると、とたんに難しくなるのです。助動詞「べし」の意味が関わってくるからです。「乗らるべき」の「べき」の意味はなんなのでしょう?

 わが志学塾の生徒の持っている学校の副教材では「あの大納言はどの船に乗るのがよいか」となっていました。「べき」を「適当」と取っています。原文には「(それぞれの道に優れた)人々を乗せさせ給ひしに」(「乗せ」が他動詞なので「させ」は使役ではなく、尊敬と取って訳は「お乗せになったが」でよいでしょう)とあり、道長が誰をどの船に乗せるかを決めたとも取れるのでこの訳もあり得ます。「べし」は一つの意味に限定できず、複数の意味が該当してしまうケースが多い(小学館『古語大辞典』)ので、そのことを踏まえてYhoo知恵袋でベストアンサーとなった方は、この「べき」は「当然」とも」「適当」とも「推量」とも「意志」とも取れると丁寧に解説されています。しかし、やはり、この「べき」意味を絞り込んでスッキリしたいというのも人情です。で、今回はこの「べき」の意味に関してマルさんなりの考えを述べることにします。

 この「べき」の意味を難しくしているのは「かの大納言」と「かの」という遠いところにある人や物を指す遠称の指示語が使われていることです。これだと道長と公任との間に距離があるように思われます。ところが、「~乗らるべき」(道長)とのたまはすれば、「和歌の船に乗りはべらむ」(公任)と会話が交わされています。距離は遠くて人が媒介した可能性もありますが、それでもQ&Aになっているのですね。また「かの」は必ずしも遠いものを指すとは限らず、「文脈上のごく近い位置にあるものを指す『この』もしくは『その』に近い用い方もある(角川古語大辞典)」ともあるので、ごく近い距離で道長と公任が会話したとも取れるのです。二人の距離が近かろうが遠かろうが、ここは道長が公任の「意志」を確認したと取るのが妥当ではないでしょうか?よって、マルさんの結論はこの「べき」の意味は「意志」で現代語訳は「こちらの(orあの)大納言はどの船にお乗りになるおつもりか」です。

 丸山古文堂は古文にかかわる人々が自由に意見を交わせる場所にしたいので、近くそうしたページを設けます。是非、同業の予備校講師の方や大学で日本の古典文学を研究なさっている方々の意見をお聞きしたいと存じます。

2017.9.1 トンデモ都市伝説「センター古文は易しい」に関して①

 さて、センター試験もあと2年で姿を消すわけですが、そのセンター試験の古文についてトンデモな都市伝説を耳にしたので、コラム第一弾としてそれについて書いてみようと思います。その都市伝説とは見出しにもある「センター古文は易しい」というものです。

 なぜ、そんな都市伝説が生まれたのかマルさんには想像も付かないのですが、予備校のあるクラスで「みんなの中で『センター古文は易しい』という話を学校や予備校で聞いたことがある人」と訊いたら2名ほどが手を挙げたので、「どこで聞いたの?」と尋ねたところ「学校で先生から」という生徒が実際にいたのです。

 多くの生徒がいる予備校での話なので、その学校の名前も、先生の名前も知るよしありませんから、その学校の名誉を毀損することにはなりませんが、まさしくドッヒャーでした。

 多分、その先生は極めて古文の学力が高いか、もしくはセンター古文を解いたことがないかのどちらかだと思われます。

 予備校の講師であって、古文の力もそれなりにあるはずのマルさんでも、どうひっくり返っても「センター古文」が易しいなどとは言えません。それどころかセンター古文は私大の入試古文に比べると極めて異質で、かつ、とても難しいというのが正直な感想です。

 なぜなら知っている人は知っていますが、センター古文は今年は例年に比べて多少短かったとはいえ、基本的にド長文です。古文を読み慣れていない高校生が見たら腰を抜かして心が折れそうなほどです。しかもそのド長文を20分で解かなくてはならないのです。

 選択肢の文も2~3行にわたります。しかもこれらは主観を一切排除して、本文を根拠として消去法で処理しなければなりません。そのためには本文の細かい解釈は無視して、どんな話なのか、全体の概要をつかみ、その上で、傍線部とその前後の数行を見て、とにかく、そこには書かれていない選択肢と明らかに間違いとわかる選択肢を消していかなければならないのです。

 かつての東大の一次試験のような本文を速読した上で、問題を迅速に処理するという能力が要求されるのです。

 とても「易しい」などといえた代物ではないのです。ハッキリ言ってMARCHレベルを解く力では太刀打ちできないのです。MARCHは青学を除いてはそれほど本文が長くなく、比較的時間にも余裕があってじっくり解けるのです。

 その「センター古文が易しい」などとはトンデモで百害あって一利なしの都市伝説なのです。高校生がこんな都市伝説を鵜呑みにしたら、本番で撃沈し、0~7点しか取れないのは当然なのです。

 では、次回にそんなセンター古文にどう対処したらいいのかをお話ししましょう。

 

 都市伝説②以下は「センター古文攻略法」として「マルさんのセンター古文対策」のページに移動しました。そちらをご覧ください。

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